フォローミー


ああ忙しかった。久々に机に向かう。
ぼんやりTwitterを眺めていて、まあ何を言おうが自由だしそれをフォローしてるのは他ならぬ俺なのだという事は踏まえた上で、どうしてこの人はこんな事をつぶやくのだろう、という事を考えていた。要するに、幸福/不幸アピールは見苦しいなあ、という様な事なんだけど。図らずも自分もしてしまっている事もあるのだろうけど、露骨(本人はそう思ってないのだろうが)なアピールは何だかなあと思う。勿論それをポイポイ放り込めるのがTwitterなんだけど、うん、何というか、うまくまとまらんなこれ。まあこんな事を思ってる事自体、本当にどうでもいい事なんだ。合ってても合ってなくてもどっちでもいい。大事な事は、自分で持つべきものは自分で持っていればいいし、伝わるところにだけ伝わればいいし。
一方とても好きな感じのある別の人が” つらいときや幸せなときほど口を重くして生きていこうと思った”という言葉が丁度流れてきたりするのがTwitterの面白いところ。僕も全くそう思う、僕も全くそう思うイエー。

と、いう様な事を踏まえると、では自分のしんどかった話はどうするのかと思う訳で、まあtwitterに吐く言葉なんかどうでもいいのだけど、どうでもよすぎて俺は忙しいとtwitterをしないので機を逃してしまい、かといってあんまりしんどかったのと自分への覚書として言葉にしておきたいと思った時、誰もまじまじと見る事はない、汚物を吐き捨てるのに丁度良い、和式便器の様な場はないかと考えたところそうそうここにこんなブログがあったっけな、って和式便器ってどういう事だ。便器に謝れ。


さていつも通り糞尿以下の駄文を調子よく垂れ流したところで、本題に入る。本題?まあそれを書こうと思ってログインしたのだからそれが本題なんだけど、兎に角クソ忙しかった。いっつもそれなりに忙しいけど、今回は特別だったな。
仕事の締めが3ヵ月に1度あるので3の倍数月はいつも残業だらけになるんだが、今回は5年の経験でも1,2を争う悲惨さだった。要因はいくつかあって、その殆どは残念ながら事前の準備や努力では不可避な事で、不運を呪って嘆き節、とでも洒落込めばいいのかもしれないが馬鹿者、それでは何も片付かん。結局は体力を最大限に浪費し乗り切る結果となった。幾つかの大きな判断もあったがやり方は多少覚えてきたつもりで、それでも体は1つ1日は24時間しかない事を実感した。2月の20日くらいから異常に忙しくて、朝ソファで起きて8時頃出社して、夜の12時前に帰宅した日が2回。あとは全部日付を超えた。最後の方で遂に風邪をひいて、休日出勤した土曜に発熱して、日曜寝たけどあまり回復せず、月曜何とか出社した状態で最後の一番しんどい1週間となった。我ながらよくやる。世の中にはもっと忙しい人もいるんだろうけどねえ、俺は元来ダラダラしていたいと思っている。
こんな状態ではあったがいわゆるブラック企業と呼ばれるものではなく、俺の努める会社が外資で実に、実に、実にリベラルなもんであって、実際残業三昧になっているのは一部の部署の一部の社員だけだし、まあ俺のいる部署の期末の異常さは社内でも有名らしいんだけど言っても仕方がなく、そんで残業代は一応ちゃんと出るし、一定時間以上の残業後には健康診断もある。で、この最後の部分がリベラルが故の面倒臭さという奴で、そもそもそうならん様につき55時間以上の残業は事前申請が必要で、さらに90時間を超える場合は事前の再申請の上にやたらと細かく報告書を記入、さらに所属長の承認をもって人事に提出が必要となる。するとやはり理由はどうあれ“異常事態”という事で、30日以内の健康診断を義務付けられ、業務改善要望の提出と、それに伴う半年以内の残業削減も義務となる。労組は味方してくれない。どちらかというと残業理由ばかりを聞いてきては協定違反をするな、要するに働くべきではないと言い出す面倒な連中だ。勿論サービス残業はしてはいけないし、もちろん俺も残業などない事を望んでいるんだけど、現実は常に多面体で複雑怪奇に事象を反射していてもうなんのこっちゃいという木になる。いや、木にはならん。寧ろ、ある意味なっているかも知らん。俺は木だ。嵐が来ても経ち続ける孤立無援のウドの大木。この木何の木ネックハンギングツリー。
多分普段からそれなりに睡眠時間は短い方だとは思うが、3時間以下の睡眠を数週続けると、明らかに日常生活に支障が出る。一度に2つ以上の事が出来なくなる。メメントモリみたいだがこれは怖い。人に話しかけられた瞬間に、さっきまでしていた事が何だったか解らなくなる。決して混乱状態ではなく、テンション的には普通だったので、俺は兎に角何かあるごとにメモを取った。ジョジョでジョリーンがやってたのと同じだ。これが効果的で何とか業務が遂行できた。疲労は最初は眠気という形で現れるが、そのうち頭全体、やがて全身に広がる。簡単に言うと”ぼー”っとするんだけど、目に映るすべての輪郭が捉えられないというか、きっと、目に映る全ての事はメッセージ。なんかもうこんな駄文書いてるの面倒臭くなってきた。よくもこんな内容のない文章を書いたもんだ。こんなくだらない糞文を読んでいる貴方、物好きですね有難う。


こんな事、やっぱり書いても何にもならんかったな。解ってて書いたからそれでいいんだけど。さて兎も角、この異常盛りの日々も何とか終わり、もう少ししたらまとまった金が入るので、俺は悪企みをする。ドキドキする様な、イカれた、人生。浮かれている奴が世界で一番嫌いだね。次に嫌いなのはだな、うん、特にない。あるのはどうでもいいものばかり。全くその通りだよ。俺は世界の殆どに興味がないんだ。ムキになっている奴が馬鹿みたいに見える。それは本当に大事なもんなのか?それは本当に感情をぶちまけてココロをすり減らしてまで関わっていなければならないもんなのか?これをネガティブという奴もいる、でもこのフィルタを濾して手元にあるものの輝きといったら、そらもうたまらんもんがある。疲れが一番いけないのは、ありとあらゆるモチベーションをごっそり奪ってしまう事だ。今月は少し時間も作れそうだし、机に向かったり、カメラ持って歩いたり、まあいつも通りなんだけどそういう事をしてたまらん輝きを集めるというか、確認しに行くというか、まあ、ともかくそんな感じだ。

そうこう言ってる間に桜が咲いちまうよ。昨日は春の嵐が来て、きっとあれもこれも吹き飛ばしてしまうかななんて縁起でもない事を思って結局過ぎ去って今日があって、それは惑うこと無き良い事なんだけど、まあそんな感じで。2012年4月4日深夜、赤貝