鉛の塊


毎日毎日、正直なところ、重苦しい胸のつっかえが取れないまま暮らしている。この原因は解っているが、原因が解っているだけで解決策がある訳ではないので、只管に悶々と過ごすのみ。確かにこんな気分はもう嫌だ。しかし抜け道は無い。嫌だ嫌だ嫌だ。ほれ、何も解決しない。まったくやれやれだ。
思えばずっと、この鉛の塊と共に生きている。こいつが明確に俺の中に居座る様になったのはいつの頃だったか、中学生の頃か、生まれる前か。ともかく重く冷たく、深く腰を据えて常に俺の中で鈍く揺れるこのいびつで滑らかな球体は、表面がつや消しながらうっすらと事象を映す。何をするにも足枷の様でいて、困った事に俺はこの鉛の塊に何度も救われてもいる。 まったくやれやれだ。
何の自慢にもなりやしないが、内心は鉛の塊に押し潰されていても、それなりに過ごしている。平然ちゃらちゃらとおどけて見せる。空元気をカラッと揚げる。そうして毎日毎日過ごせば、抱えた鉛の塊はさらに磨かれて鈍く光る。昼間は何食わぬ顔をして、誰かの前でもどうでもいい話をして、夜ひとりで机に向かった時にはじめて、さて俺はそいつを両手でごっそり取り出す。最近、この不定形な筈の塊は一定の形になりたがる。その形になるのをこのまま眺めていてよいものか、敢えて潰して別の形に整形し直すべきか。今夜も悶々としてるうちに鉛の塊は急に尖って、俺は指を切った。鉄の味。否、鉛の味。ちゅぱちゅぱ。

話は変わるけどさあ、秋から冬へ変わりゆく今ぐらいの季節のこの何ていうの、空が高くて色が淡くて影が濃いこの感じ。この感じがたまらなく好きだ。春と夏は嫌いだ。全てが浮き足立つし、舌打ちしつつも何だかんだで乗せられてはしゃいで転んで凹む自分が何より愚かしい。秋になって、舞い上がった有象無象がゆっくり沈殿してゆく感じが、とても好きだ。見境無く掻き混ぜたものが、段々とどれが沈んでどれが浮かぶか見えてくる。勿論、大事なのは沈んで底に溜まるもの。ある程度したら、濁さない様にゆっくり上澄み液を捨てて、濃度の濃い沈殿物を捏ね繰り回して、時間をかけて絵でも描こう。そういう冬が来ればいい。鉛の混じった、重くぬめる絵ノ具を、とてもいやらしい気持ちで、指でゆっくり混ぜ合わせて。ほらもう何言ってるか解らないでしょう。

穏やかだ、何も無い。
赤貝