シャツを洗えば


夜が深まるにつれて思考回路に蔓延し始める錆の様な感情。それは簡単に言ってしまえば”不安”という事なのだろうけど、この不安というのが、解体してみると実にしょうもない要素で出来ていて、その事実に尚更凹む。所詮、自己の欲望が叶わない事への焦燥や諦念から来るものでしかない。その不安から逃れるために、ヒトは空元気を振り絞って希望に縋ったり、全力で現実逃避したりする。ただ見つめているだけで心が軋む音を聞いていても、少なくとも明日への輝かしい原動力にはなるまい。しかし何故か好んで毎日をそれを繰り返しているのが俺である。それでも明日は来るし、来れば来たでそこそここなせるのが悲しくもあり、後々苦笑うところだろう。
この人生は多分喜劇だ。
目覚めはあまり良くなかった。おかしな夢をみた気がするが、覚えておく意味もないだろうし、既に殆ど忘れた。ただぼんやりと、その不愉快な余韻が残るのみ。人と人の繋がりは儚い。結局人は、経験から来る己の理解でしか事象を捉えきれん。オノレの物差しで測るしかないだろう。しかしそれで全てが測れると思い込んでいる土足の輩には、少なくとも靴を脱いでもらうしかない。あれ何の話だっけ。牛乳を飲む。うまい。
何故か朝は爽やかに、12月の少し緊張感のある冷たい空気。さて今日は何をすんだ。何があんだ。今日も空虚を知ってる。
雲ひとつ、無い青空。日曜日、早く起きてよ。
赤貝