deleyed brain


胸の奥の方、喉のちょうど下辺りに、極端に冷たかったり熱かったりする鉛の塊を抱えていて、そいつが揺れたりぬらぬらと形状を変える度に、俺はむぐぐと蠢く。しかし俺は断じて、こればっかりは断じて、易々とこの鉛の塊を他人に見せないし、その蠢きの影響すら、他人にぶつける事だけはしない様に過ごしている。何の格好付けでもない。これをぶつけて人を傷付ける事は、他ならぬ他者への甘えであり依存であり、自己の曝け出しであるからだ。そんな事したら何処にも戻れまい。家族にも恋人にも親友にも、最早見せられない気がする。俺自身も、このカタマリになるべく相手してやってるつもりだがこうロクでもない事ばかりが続いて俺自身が疲れてきていると、たまにゃあ目を叛けて知らん振りしててもいいんじゃなかろうかと思ったりもする。まあそれは既にしてるんだろうけど。あれ何の話だっけ。
何が言いたいかというと、言いたい事は何もない。誰にも伝わらないで欲しい、伝わる先で解釈されてゆく言葉の意味にまで責任が持てん。こうしてただただ言葉を吐くだけの無責任性の元、これはただ吐くだけと自覚して吐き出す言の葉は、絵の具の下塗りみたいなもんで、最終的に上の色に影響は及ぼすものの、それ自体が絵として意味を成すものでは決して無い。どうにもならなくていいし、寧ろどうかなってしまっては困る。人に送る言葉はもっとしっかり、手で包んで送ろうと心がける。それが俺が思う俺の嫌いなところだ。殆ど病気。いや病気じゃないんだわこれが。多分、普通。よくある話。
昔、全くやりたくなかった町内会のソフトボール部の練習中に、転がっていったボールを捜して草叢に手を突っ込んだら、そこに割れたガラスがあって血だらけになった事があった。真っ赤な血と、薄緑色に透けるガラスの破片。すぐさま大人が掛けてきて、多分痛かっただろうし当然病院に行ったりしたと思うんだが、俺が覚えているのはその色と、手を切った時の変な異物感と、あと練習をやらなくていいなって思った事だけだ。あれ何の話だっけ。
日記(なのかこれは)をしたためようとするとこんな文章にしかならないが、実際俺、今日も普通に社会の歯車として過ごしてきた。何も無理してない気がする。もし今日あの娘に会ったら、ヘラヘラ機嫌のよろしい無駄話だってするだろう。母親に電話すれば、さして興味もない世間話に付き合ったりも出来るだろう。俺は要するに、そんな奴なのだ。芯などある様でないし、いくらでもどうとでもなれる気がする。寧ろココロがいつも邪魔をする。俺はその気になれば空も飛べ、ないけど飛んでやる!と言い切って屋上からホップステップだって出来るだろう。いやジャンプまではしないけど。俺死にたくないし。死にたいとか言う奴大嫌いだし。本当に死ぬ事も出来ないくせに糞が。一生かまってちゃんしてろ。あれ何の話だっけ。
さっきの手を切った話を、何でし出したのかは自分でも本当に忘れてしまった。これからも色んな事を忘れて生きていくだろうし、しかし忘れていい事とか忘れた方がラクな事っていうのは、都合よく忘れられるもんでもないなあ。また邪魔しやがって。ほらもう何言ってるか解らないでしょう。夜が昨日と同じ。苦悩を気取る暇は無い。社会との約束、思い出せん事がある。こんがらがってるインマイブレイン。フラストレイションインマイブラッ、ダ。今思いつく言葉を4つ、意味はいいからとにかく4つ書いたら寝る。
ガソリンスタンド、スーサイド、ホンコンフラワー、多部未華子。赤貝