2011年04月22日、晴れ








どうも俺は物事を複雑に考える節があって、というか、あんまり頭がよろしくないのでそんなに難しい事は考えられないのだけど、何というか、”世界は基本的に複雑である”という思想を持ってる、という感じだろうか、何が起きても、”その背景には色々あってそんでもって諸々込みで今、なう、こういう形であるんだろうな”と考える傾向がある。何かものすっごい単純な、おいそりゃねえだろって位の事象に対して、希望の一種としてそう考えるんだけど、往々にして事実はそんな事もなくてそのまんまだったりして、そしてそれをアグリー・トゥルースとして捉えて凹んでしまう自分がいる。何なんだろう。結局のところ、世の中は悪い方へ悪い方へ傾いてゆくし、女の子はイケメンが好きだし、うまいもん食えば体は悪くなるし、金を稼げば時間はなくなるし、自分を見れば見る程無様で無善、無用之介。何かもう色々と納得してしまう。何が言いたいのか解らなくなってきたがとにかく俺は物事を複雑に考えようと常にしているのであって、単純だった時に寂しさや悔しさを感じる事すらあって、そういう事にも段々疲れてきて、変に丸くなって縮こまって唸って逆らうのも辛く、ただ春を待つ。訳でもなくて、要するにいつも晴れ切らない今日の天気の様な気分で、何とも無様に生きてきた訳です。
何で急にこんな話を書くかというと、特に理由はなくて何となくそう思ったからで、何て事はない結局俺自身が何より、呆れる位に単純不毛なのだっちゅう事を、ここに証明しただけの夜だった。毎日何も変わらなくても、人間は日々楽しかったり凹んだりする。いや凹んでもない。たまに何かこういう意味のない思考をダダ漏れにしたくなるだけ。
桜に限らず、散った花の無残さが好きだ。汚くて美しい。2011年4月22日深夜、赤貝。