風の市






週末、少し散歩。調べてみると上野と表参道と浅草は銀座線で1本で、適当にぶらぶらするのに丁度良かった。
上野の雑踏。いつでも人だらけで喧しくて汚い街だけど、上野の持つグルーヴは大阪やアジアのそれに似てて、まあ東京だってアジアなんだけど、とにかく剝き出しの混沌があって好きな街だ。どうでもいいけど俺は場所はグルーヴ感だと思っている。それに乗れるか、自分に合うか合わせたら楽しいか。冗談で言い出した事だけど割とすっくりきている。上野を歩いていると頭の中にソウルフラワーが鳴る。いつでも悲喜交交飲み込んで祭みたいな街だ。


上野から地下鉄、表参道へ。打って変わって日本のファッション最先端の街。その中でも落ち着いた路地を進んで、岡本太郎記念館へ。ここへ来るのは1年半ぶりくらいか。太陽の塔のストラップをずっと使い続けていて、記念館か美術館へ行く度に更新しているのだけど、丁度年の初めに金具が外れてしまったので、買い替えに来た。ヤノベケンジ展をやってたせいで太郎の作品が少なかったのは自分としては少々残念。グッズが素敵なのでいつも散財しまくりたいのだけど何故かあまりお金のない時に来てしまう。今回も財布を落としたばかりだったので力不足。でも手ぬぐい買ったりはした。
ああいつ見ても愛らしくてちょっとおっかない太郎の子供たち。



やあ俺。

この太郎さんのアトリエ、東京で一番好きな場所。


さてそこから地下鉄で戻り、浅草へ。1年振りの浅草。仲見世通りはいつも明るく騒がしく賑わっている。饅頭や煎餅の香りに誘われつつ、賽銭投げておみくじ引いて、今年二度目のおみくじは凶。まあ、その位が引き締めに程良いかもしれない。1年振りに浅草寺から見るスカイツリーは伸び上がって、すっかり成長していた。




浅草から出ている遊覧船に乗ってみる。写真は撮りづらい風景だったけど、次々くぐる橋をのんびり見ながら、水面から見る東京の街、落日と共に暗がりに浮かび上がる東京タワー、なかなか良いものだった。



この日々が続いている、胸に抱いた蛇腹からは歌が流れる。2012年1月15日深夜、赤貝

C列車でいこう





年明け早々財布を落とした。いつにも増して寝惚けた脳で仕事始めなどをして年始くらいは定時に近い時間で上がったのだが、その帰る途中で気付いた。思い返してみると昼には触った様な気もするがしかし自信がない。思えば朝から持ってなかった様な気もしてくるし、そもそも確実に持っているという自覚がなかったからこそ失くしたのであって、それが解ったところで出て来る訳でもなく、カードを止めたり何だの手続きをして、交番で遺失届けを出して、結局割とあっさりと俺はその事実を受け入れた。幸い現金はそんなに入ってなかったし、ヨドバシのポイントが沢山あったのが気がかりだったがこれも再発行で継続出来たし、結局失ったのは数千円とくたびれ始めてた財布自体だけだった気がする。そんな訳で不幸中の幸いだとか、もっと言うと”厄払い的な意味でナニカワルイコトと一緒に財布が亡くなってくれた”とかいうキャッチーなフレーズを脳が思いつくのだけど、一方そんなまとめ方でいいのだろうかという気がやんわりとしている。まあいずれにしても出てこないものは出てこないのでそこで心を摩耗しても仕方がないけど、受け入れすぎるのもどうかという話。

そんな感じで2012年も1週ほどが過ぎた。週末は吉祥寺に行って、あとは大体ごろごろしていた。すべき事もやりたい事もそれなりに沢山ある。それはとても幸福な事なのだろう。2012年1月9日深夜、赤貝

おはよう世界2012


本年も在るべきものが在るべき姿で在ります様。
去年は震災もあり年始におめでとうという言葉が使いづらい、という話を聞いた。地震津波でそれこそ全てを失った方のお気持ちは想像すら出来ないが、しかし新年を迎えた事を慶びとして、不特定多数へ向けたもの或いは漠然とした“未来への思い”としておめでとうという言葉にするのは決して悪い事ではないと思う。勿論自分がそう思うから誰に対しても投げていい言葉とも今時点で思わないが、俺は2012年を迎えられた事を嬉しく思う。今年もよろしく世界。


今年の年末年始も実家にて過ごす。仕事納めまでの喧騒が嘘の様で、実家で流れる時間はゆっくりしていて、墓参りやら甥っ子の新年のあいさつ等は一応あるものの基本的には終始ぼーっとしていた。テレビを見る。八王子の我が拠点にはテレビがないので、CMなども面白く見れる。テレビは確かにそれなりに面白いのだけど、年に数回こうして眺めてるだけでいいなとは思った。お笑いの人達は熱くて面白い。

実家には猫がいる。自分が家を出てから居着いたのでいつまでも若いとばかり思ってたけど、いつの間にかぼくらも若いつもりが歳をとった。洗濯物を畳んでいると何故かをチェックしている様な目で見に来る。

年が明けてすぐ、ここ10年位行っている寺に初詣に行った。特に強く必ず行くと決めている訳じゃないが、ここまで続いていると行けるのであれば行きたいという気持ちにはなる。という訳で行ける環境だったので1時位に詣でる。特に何かがある訳ではない普通の寺なので賽銭を投げて手を合わせる。とにかくあちこちの寺社仏閣に行きまくる自分であるので実はあまり賽銭は投げないのだが、まあ正月だし、位の気持ちで。何を願ったかは書かない。まあ色々といい感じになるのがいいだろう。
御神籤を引く。半吉。初めて見た。どうやら大吉・中吉・小吉・吉・半吉・末吉という順らしい。吉より下だがとにかくレアらしいのでこれはこれでよしとしておく。今年は事あるごとに“半吉の男”である事を推していきたい。何だか解らんけど。






2日は少し出掛ける事にした。浜松から名古屋方面へ1時間程、岡崎へ。天満宮では鷽替えという神事をやっているところがいくつかあって、その鷽の人形を集めているのだけど、岡崎天満宮のそれは木彫りではなく陶器という珍しいもので、以前から欲しかった。ところが三箇日にしか配布してないとの事でなかなか機会がなかったのだけど、今回やっと時節が合うに至った。到着した岡崎天満宮は凡そ遠方から出向く程のもんではないこじんまりとした神社だったが、近隣だろう人々がそこそこ来ていて落ち着き感が心地よい、渋いところだった。鷽も入手。

岡崎から海の方へ1時間程移動、蒲郡へ。ガマゴオリと読むんだが相変わらず素晴らしい語感。蒲郡には竹島というプチ江の島みたいな島があって、それ以外は特に何がある訳じゃないんだがこの辺りでは割とメジャーな観光地らしく、まだ2日だというのに結構人がいる。ここには全国でも指折りの珍スポットである蒲郡ファンタジー館という、異常な量の貝殻で作られた竜宮城を見て回る狂気の施設があったのだが、残念ながらそれは一昨年潰れてしまった。今回の目的は(というか折角岡崎まで来たのでついでに何か見るかってだけなんだが)竹島水族館。子供の頃に一度来た事があって、子供心に小せえなあって思った記憶があって、さて今見たらどう思うだろう、というか今もあるのか、という興味で馳せ参じる。かなり老朽化していたがその水族館はあった。元旦から営業もしている。そして結構人がいて賑わっている。中はとても狭く、水槽の数も大きさも、そこにいる生物も大した事はないのだけど、その手作り感と身の丈の繁盛ぶりは心地よいものだった。身の丈に合っているかどうか、というのは近年自分の中でも重要なテーマで、その判断は難しいのだけど、大きめの公民館位の施設に、飾りっ気のない水槽で、でも人は沢山いて、これはこれで良いなあと思ったのだった。
どうでもいいけどここは何故か甲殻類、特にカニが充実している。生簀で触れるカニタカアシガニ触った。若い飼育員の女の子が説明しながら、棒で隅っこにいるイガグリみたいなカニを移動させていて、そのカニがあんまり逃げ惑わないで為すがままなのが何とも言えない不思議なグルーヴ感を醸し出していた。
この水族館は狭いのに奥にわざわざ展示室があり、そこにも大量の甲殻類の標本が。若干グロ注意でしたかねこれは。
水族館に隣接している土産物屋も凄まじいデス感で、商品といい陳列といい建物自体といい常軌を逸脱した“取り残され感”で、むおおと思いながら食らい付く。仮に今月中に水族館ごと無くなっても納得してしまう様な場所なんだけど、俺はどうもそういう所が好きだ、








東京に戻るのに指定席はとっくに満席で、でも自由席はガラガラという現象がたまに起こるが、今回もそうだった。年末に買ったはいいが全然触ってなかった3DSをいじってたらあっという間に新横浜。八王子は温暖な浜松から比べるとぐっと寒い。仕事締めからすぐ翌朝に実家へ行ってしまったので、掃除だの洗濯だのをして休みを終える。



さて今年なんだけど、特に今年はと思う様な事はなくて、いつも思っている事を少しずつ、形にしてゆく。毎年そんな事言ってるのがどうにもだけど、意外とそれは容易くはないしそして出来ない事でもないと思っている。またいつもの日常に撒かれながら、現在位置の確認だけは怠ってはならない。



今年初iPodeastern youthの「ドッコイ生キテル街ノ中」にした。
日々は全てが相変わらずで、それでいて輝き返し続ける。赤貝

おやすみ世界2011

実に久々に更新をする。もっと適当に書き流す様に書きたいと思いつつ、日々の濁流に飲み込まれて気づけば年末。
ともあれ2011年も残すところあと数時間、昨日までの喧騒が嘘の様、まあ嘘にはならないけど、そんな定型文が嵌る位ゆったりした時間の流れの実家で猫を撫でている。何かいつもの事だけど時間の流れのギャップの間で、いつも頭の中はゆらゆら揺れていて、何処に辿り着くでも沈み込むでもなく、疲れ果てて眠りに落ちる寸前の心の中のフォルダ分けがぐちゃぐちゃになる感じで、浮かんでは消える言葉や映像やよくわかんないものをいたずらに掴もうとしてみたり、本当に掴んじゃって話してみたり。まあ傍目にはただぼーっとしている様にしか見えないだろうね。


最後くらい1年通して撮った写真を選んでまとめてみようかと思ったりもしたが、結局仕事の締めから実家へ戻る合間にそんな時間を作る事もできず、今年の最終出社日の朝に撮った写真を1枚添えるのみにする。会社へ行く途中、16号沿いの大きな道路の大きな橋を渡るのだけど、河原に生えていた木に枯れた蔦草が残って不思議なシルエットを作っていて、忙しい日々の中白い息を吐きながら毎日気になっていたので、最後の日に小さいほうのカメラをポケットに忍ばせて、少し早く家を出て撮ってみた。まるで人工物の様なそれは撮っていて楽しかったが、やたら寒かったのと枯草の種や枝が靴下に刺さって痛かったのを覚えている。毎日走っている大きな鉄橋は煤けて汚れていて、大きなトラックや沢山の車が流れては消えていって、毎日の俺の緑の自転車もまたそうだったのだろう。河原にはデス感が漂っている。ゴミとかエロ本も落ちている。そんなところで、今年の最終出社日に草に足を刺されながら、誰も見向きもしない枯草の影を撮っていて、まるごと不毛の極みなんだけど、俺はこういう事が時々したくなるのだよな、と思った。
とにかく毎日通っている風景だったので、年の締めには相応しい1枚かもしれない。


今年は何を差し置いても震災の事ばかりだと思う。今思い出しても末恐ろしいし、今も先を思うと不安になる。
どうにもできない事は起こったが、俺の日常は今もいい感じに褪色しながら続いている。その日常の進む先を今日も思っている。

願わくば常幸の在らん事を。田森赤貝 2011年12月31日





1月 焼津、浅草
2月 上野、蒲郡
4月 栃木
5月 韓国
7月 滋賀、大阪
8月 大分
10月 山形
11月 鎌倉
12月 島根


毛皮のマリーズ『My name is Romance』
SOUL FLOWER UNIONExile on main beach』
andymori『ファンファーレと熱狂』
あるぱちかぶと『◎≠』
星野源『ばかのうた』
中川敬『街道筋の着地しないブルース』
アナログフィッシュ『ROCK IS HARMONY』
Red Hot Chili Peppers『By The Way』
thee michelle gun elephant『ギヤ・ブルーズ』

eastern youth『心ノ底ニ灯火トモセ』

ピタゴラ装置』1/2/3
『運動靴と赤い金魚』

是枝裕和『奇跡』



漫画とか本はそこそこ読んだけど特に浮かばないや。
緑の自転車と2台のカメラ、旅と日常、紙とペン
ひどくボロイが毎日メールを受信する携帯


震災翌週の深夜の馬鹿力中止放送の冒頭2分の伊集院のコメント
その翌週の瀧からの震災メッセージと、リクエスト曲が『満月の夕べ』だったこと

さよならセプテンバー

さて、日記どころかここ数日はtwitterも覗けてない程にクソ忙しかった。クソが忙しかったしクソっぽく忙しかった。クソっぽーく、クソっぽーく笑う女の子がおりますよね。クソポークだったら売れなさそうだな。マクダーナルベーコンクソポーク。売れなさそうっていう以前の問題だな。嗚呼、こんな微塵も価値のない脳内垂れ流しを書けるこの平和よ。ピンフじゃないよヘイワだよ。麻雀なんて学生以来一度もやってねえ。またやろうとも思わん。何なんだあの負の空気。違う、こんな話がしたいんじゃない。違う違うそうじゃない。もっとそこ。そうそう。そこを強く。強くっていうか強めで。ちょっとじらして。じらさないてもっとじらして。じらしてジェラシー。何言ってんだ俺。でも、こんな世界を待ってたのあたし先生アイムソーリー、フォークソングじゃ踊れない。フォークソングじゃ踊れない!ああマリーズかっけえなあ。
何の話だったっけ。そもそも何かが言いたくて書いてる訳じゃないから元の線路に戻るの難儀するな。まあ戻る必要はないけど、日記を書いておこうっていうのが目的で、意味のない言葉を羅列して遊ぶのはtwitterでやればいいし、で、だ。

この暫く、とても忙しかった。勤務先は外資で1年をクォーターなんつって4つに分けてその都度いちいち締めがあるので、3か月ごとにやたら忙しい時期が来る。クォーターパンダー。2世代前に普通の熊の血が混じってるクォーターパンダ、っていうのを今思い付いたけどそれは関係ない。兎も角9月も締めで盛り沢山忙しかったんだが、悲しい事に毎度の事だし何とかなってる自分はいる。生活は自分の為にしてる事なので納得はしているが、少々愚痴って空気抜きをしたいだけ。8時に家出て日付変わったのが何日あったっけな。26時帰宅が2回、27時帰宅が1回。馬鹿みたいだなって思うけど金が手に入るからな。って書くと賞金稼ぎみてえだけどただの社畜だ俺。洒落っ気も色気もなく顔をテカらせて毎日働いてるだけの歯車だ俺。クリエイティブもアーティスティックもありゃしねえ、パーマネントも当てられねえし髭も生やせねえ飼い犬だ。でもロッキンロールはポケットのどっかにある気がすんだよな。どうだい格好悪いだろうこの文章。噂ではロッキーンロールは死刑らしい、最後の時に地獄行らしい。どうでもいいけど芥川の蜘蛛の糸に出てくる釈迦は傲慢を感じる、わたしに似てて大嫌いだ。
このくらい働いた時期の帰宅時、もう感情がすっからかんになってて、それこそ明日世界が終わりって言われてもああそうなんだってしか思わない位に空っぽになってる感覚があるんだけど、唯一何が嫌って、音楽聴いてもまったく頭に入って来なくなる事が嫌だ。すごくよく知ってる曲、ああこの曲好きだったなあ、って思ったりする。だったって何だよ。でもこん時ばかりはそう思ってしまう。渾身の演奏も、安いシンセで打ち込んだただリズムだけあってる心スカスカの譜面だけ追った演奏と変わらなく聴こえる。じゃあ聴かなきゃいいじゃないかとも思うんだが、通勤時に音楽を聴く習慣だけがそうさせている。何が言いたいんだっけ、そうそう最初から言いたい事なんて何もないんだ。いやそれは微妙にニュアンスが違っていて、言いたいというか単に吐き出したい言葉があるだけで、どっかに伝わってほしいとかがない。伝えたい言葉はしかるべき手段で伝えるし。あれ何の話だっけ。

昨日夜中に帰ってきて、覚えてないが鞄も靴下もズボンも部屋に入りながらめりめりと脱いだんだろう、Yシャツにトランクスというスタイルで布団でブッ飛んでいた。目が覚めて俺である。いや俺であるわそれは。目が覚めて朝である。学生の頃は20時間くらい寝たりもしたがもうそこまでは出来ない。どんだけ眠くてもある程度で起きちまう。じじいが早起きなのがよく解る。さて起きて俺、冷蔵庫に向かい烏龍茶を飲み、部屋に戻り窓を少し開け天気を確認。出掛けるつもりなどなくても天気が良ければイエイ。洗濯機を回そうか、会社の服と普段着は脱水の有無という理由で分けて洗うのでこの山をよお、掻き分けるのが面倒でよお、でここには書けない位の壮絶な努力の末に今洗濯機は回っていて、俺は優雅に今作業机の前にてこの愚にもつかない駄文をしたためている次第。もうじき宅急便が来るはずだ。来たらやあ、君か。と言ってやろう。言わねえけど。何が届くんだっけな。

と、ここまで書いて俺は俺の1日を夜まで過ごした。今や夜である。

結局twitterでやってる無意味な言葉の羅列のロングバージョンみたいになったが、脳に沸き立つ言葉をロクに吟味もせずに吐き出してゆくこの作業はたまには楽しい。意味なんかないね、意味なんかない。今にも僕は泣きそうだよ。そりゃあ佐藤伸治がそう歌えば女の子は喜ぶだろうけどさ、俺が泣いても木偶の棒が塩水に濡れた様に見えるだけでどうにもなりゃしねえ。愛なんかいらねえ。大体お前のそれは愛じゃねえだろう。じゃあエロい事をしてくれ。って言ったらしてくれないんだろ。いやしなくていいんだけどさ。したらしたでえらい面倒くさい、というかほぼジ・エンドにしかならないし。女の子がそういう生き物だって事はもう知ってる。そんな事がしたいんじゃないんだよな。いやそんな事もしたいんだけどさ。本当にがっつり来るものが欲しいんだよ。それが本当なんだわ。ただそれはどうにも手に入りにくいし、俺自身そのお膳立てが苦手なところがあって、どうにもね。でも少しづつでいいから近づかないとね。あれ何でこんな話してんだっけ。こんな読みにくい、しかもほぼ意味のない文章読んでご苦労さんです。

とうとう辿り着いた、ここが堕落の果てだろう。ヘイ、気分はどうだ。クソ忙しくて退屈な、システムと生活に追われるだけの、格好悪い世界。俺は今起き上がって、眠気をゆっくり転がして楽しんでいるだけだよ。何も考えなくてもいい、考えるのが楽しいなら何か考えればいい。それも嫌なら、俺がばらまく意味なんかない言葉の羅列を目で流して、ああこいつ馬鹿だなあとか思いながら、布団に潜り込んでパンツの中に手を入れて色々いじって納得したら寝ればいい。ほらもう何言ってるか解らないでしょう。毎日夢を見てるだけなんだよ。

そうこうしてるうちに10月もまた行ってしまうのだ 2011年10月1日、赤貝 

8月の現状;別府/広島編

>前回から続く








大分の3日目は雨が降った。それまでの2日間、炎天下で寺巡りだった為、これはこれで有難い。勿論、曇天雨天では光の加減上写真が撮りにくい。まあそれはそれ、疲れもあるしユルくいこうという事で、この日は別府に行く。別府といえば温泉、あまりに有名なんだけど、小雨のパラつくなか着くと、斜面に広がる温泉宿から白い煙がもくもくと立っていて、テンションが上がる。この時は楽しいと思ったんだよなあ。
別府温泉オールドスクール温泉街という風情で、宿は古いものの大きい所が多く、熱海を髣髴とさせる。土産はまず欲しいものがない。団体客を乗せた大きな観光バスが乗り付けて、中から中年以降の客がぞろぞろ降りてくる。路地は結構くたびれていていい感じだが、しかしこの観光地然とした感じはどうにも馴染めない。これは単なる好き嫌いの話。で、軽く済ませようと、目についた“地獄めぐり”なるものだけ見て回る事にする。この地獄めぐりが全く面白くなかった。面白くなさ過ぎて、テンションが下がり過ぎたが故に疲れが出てしまい、とてもしんどかった。もっかい言うけど、地獄めぐり、全く面白くなかった。それも含めて旅の記憶としては楽しい。



その日は雨の中湯布院まで往復して、別府の夜、大分在住の方に教えて頂いた飲み屋を無事見つけ、食って飲む。うまかったです。別府の街は年季が入っていて継ぎ足した秘伝のタレの様な街で、なかなか良かった。翌朝、やっぱり雨。この日は一気に広島まで行く予定。最後の大分をどうするかしばし考えるが、国東半島にリスペクトを込めて、海際にぐるっと回って北上して、そのまま広島を目指す事にした。国東の海にはカブトガニがいるらしい。それ以外に特に得た情報はなかったが、雨のぱらつく中、思いっきりヘトヘトになれた国東での楽しい時間を反芻する。国東、大分、楽しかったなあ。






大分県を抜けて北九州から高速に乗り、あっけない位に一瞬の下関を渡り、対した問題もなく、日没頃に広島へ。広島はほぼ初めて来たんだけど、市街の道が広く、かなり都会。この日はヒロシマの日で、原爆ドームの前の川に灯篭流しをしていた。多くの人が出向いている。俺もその人ごみに紛れ、何度もシャッターを切る。とても美しい。とても撮りにくい。原爆の事、ヒロシマの事、俺はあまりにも知らない。灯篭流しは人々の笑顔を集めていた。考えなど何もまとまらない夜だった。

翌日合流する予定だったバックパッカーのカナダ人達と、偶然原爆ドームの近くで鉢合わせる。実は我々はこの日車中泊の予定だったんだが、彼らのステイ先(友人のアパートらしい、その友人は不在だった)に泊めてもらえる事になった。ワンルームの玄関兼台所のとても狭い空間ではあったけど、シャワーも浴びれたし車で寝るよりずっと良かった。感謝。彼らは実にハートフルかつファンキーで、カタコトの英語で何とかする会話がとても楽しい。デイビッドやマットやザックを思い出す。思い出すも何も、facebook開けば何してるかは解るけど、また会って遊びてえなあ、なんて思いながら限りなく気絶に近い睡眠。


旅の最後の日、広島を出て、呉の先にある江田島というところで泳ぐ。広島から思ったより遠い。イエーイ!ビーチ!というタイプでは勿論ないんだが年に1度くらいは泳いどかないと具合が悪い。まあ普通のビーチだったが、スイカを買ってカナダ人達と食ったのは何とも絶妙な味わいがあって良い体験だった。ぬるいスイカ。今年は何だか知らんが苦手なスイカを沢山食ったな。外は気が狂いそうなくらいに暑いのに、何故か水はやたらに冷たい。ウニの骨を拾った。ウニって英語で何ていうんだろう。ソウメニーニードルス。




泳ぎ終わって江田島を広島の方へ戻る。途中、竹と折り紙で出来た竹ぼうき位の大きさの、何かの飾りが売られていたので、気になって昔からの地元のデイリーヤマザキに寄る。店主のおばあちゃんが、これはお盆の飾りで、亡くなった方がいれば白黒、そうでなければ色のついたものを、玄関やお墓に立てるんだそう。面白いので買って帰っていいですか、というと、折角遠くからいらしたんだからタダでいいのに、とおばあちゃん。いえいえそうもいかないです、というと、店の棚からおにぎりとサンドイッチとジュースをくれた。いいんですかこれ。いいのいいの、孫が来たみたいで嬉しいから。そんな訳で何故か帰りのご飯をゲットした俺は、色んな事があり過ぎて訳が分からん旅の記憶を頭の中で転がしながら、相棒&カナダ人と広島駅で別れ、新幹線に乗る。泳いだのもあって少しうとうとすると、新幹線はすごいもんで、あっという間に俺は新横浜。横浜線に乗り換える俺の手には、おばあちゃんがくれたデイリーヤマザキのおにぎりと、江田島のお盆飾り。実に10日ぶりの我が家は相変わらずモノだらけで、世界で一番落ち着く場所だなあなんて思いつつ、久々にベッドに寝っ転がって旅は終わる。2011年夏旅はやっとこれで終わり。次回はアラバキ編。

8月の現状;大分編

さて大阪でもう1日、暫く振りに友人に会って3月の地震の話など伝えつつ、夕方別れて、仕事上がりのいつもの相棒と合流。そのまま大阪を出発、夜通し走り続けて、3時半くらいだったか、山口のビジネスホテルで1泊。充分な睡眠とは言い難いが、旅の最初に綺麗なベッドで寝る事は大事だ。で、翌朝はあほみたいに晴れて、下関を渡って九州入り。目指す大分県にも昼過ぎ位に到着。この日から3日間、日出(ひじ)という国東半島の付け根の僻地を拠点に、半島を隈なく巡る。




国東半島へは、以前にも行こうと画策した事がある。2009年のGWで九州の旅の際に、まずは九州の良さそうな場所を洗い出してみたところ、かなり初めの方で挙がったのが国東だった。結局九州はスポットが多すぎて県ごとに絞る形になり、この時は大分へは行かなかったんだが、そこから2年、遂に大分へ足を踏み入れる。これも最初は大分から瀬戸内海をなぞって下関、岩国、広島を巡る旅だったんだが、大分があまりに実力者なので企画変更、結局4日間ガチで大分を嘗め回す形になった(まあそれでも南の方は殆ど行けなかったんだけど)。

国東半島は、半島自体が巨大なひとつの山で、とにかく何処に行ってもひたすらにエヴァーグリーン。緑ばかりが勢いがある。どの寺も枯れ倒していていちいち凄い。山がちなのと真夏の晴天の高気温とで、ごっそり体力を持ってかれる。照りつける日差しと足元に濃く塗られた真っ黒な影。木陰に入れば蝉の大合唱と俺の血液を狙う藪蚊の群れ。そんな記憶ばかりだが実際旅の最中に目下起きている事といえばそれなんだから仕方がない。日差しが強すぎて、ファインダーを覗いてもよくわからないし液晶なんかまるで見えない。勘でシャッターを切る。カメラはえらいもんでちゃんと撮っておいてくれる。そんな訳で俺は旅の最中殆どオートで撮っている。そういう意味ではこれらの写真は誰が撮ったものなんだろう。まあ俺なんだけどさ。

しんどい時間なんだけど何故か終始笑っている。自分でもおかしいと思うが楽しいのだから仕方がない。夜は温泉に浸かり無理矢理体力を引き戻す。今回は思いっきりリゾートホテルだったけど、露天で湯船に寝っ転がって見上げる夜の空には、相変わらず希望や不安や色んな気持ちやどうでもいい事が鏤められていて、疲れで冷静でありつつ頭の中がパンパンになる感じがする。あー、とかいって温泉に浸かってるだけにしか見えないのだけど、人間は常に面倒臭くて面白い。まあ他人がどう思うかは知らんけど、俺は俺がちょっと楽しい。








↑石段でコケた瞬間。

この旅の思い出といえば、国東に点在する山寺を回ってて、メシ食おうとしたら全然飯屋がなくて、飯屋どころかコンビニもパン屋もなくて、とにかく食べ物が入手できないという状況に陥った(国東は本当に田舎で、例えば、1日の殆どの時間が携帯圏外だった)。自販機のコーラ飲んで、車の中探したら大阪出た時に買ったすっぱムーチョと駄菓子の小さい20円のドーナツがあって、それを相棒と分けて食った。勿論足りなかったんだけどやたらにうまかった。




夜、寺巡りを終えて、地元のおじいしかいない村営みたいな温泉に浸かって体力を回復しつつ、しかし空腹はどうにもならず、宇佐という街まで降りれば何かあるだろ、と移動。宇佐は確かにある程度の街(といっても比較対象が国東の山の中だが)で住宅も沢山あり、交通量の多い国道を選んで走る。確かに飲食店はある。が、リンガーハットとかなか卯とか、全国何処にでもあるチェーン店しかない。ここまで来て…という思いもあり、携帯で検索して当たった地元の鶏料理が食えそうな店に行ってみるが、どれも閉まっている。どうも8時には何処も終わりの様だった。仕方なく、チェーン店の軒並みの中からココイチを選択。15時間に渉る敵のないハンガーストライキの終焉は、ココイチだった。まあ、めちゃくちゃうまかったんだけど。


もうちょい続く。